(アイキャッチ画像は「浅海で1000枚のグレを釣る」という企画当時のもので2016年の6月撮影)
今回は、僕(兼崎秀治)、個人の事を書きます。お時間があるようなら、読んでみてくださいね。
さて、
僕は1963年生まれで、今年60歳になります、還暦です。笑
大学を卒業して、新卒で働きだした時代は、いわゆるバブルのちょうど終わりごろ。もう、当時はアホほど忙しかったわけです。(1か月休日なしとか、普通でしたからね。笑)
そんなバブルが弾けて、会社から「休め」と言われ始めたのが29歳の頃(1993年です)。この時から「休みは趣味でも楽しもう」と晴れたら魚釣り、雨が降ったら将棋の独学を始めました。で、魚釣りは、同じやるならキチっとやろうという事で、大阪湾の波止釣りのクラブに入れてもらって、本格的にやることにしました。
そうなんです、1993年と言うと、ちょうど30年前。12歳から釣りはやっているので、「釣り歴」って言えば50年近いわけですが、本格的な「釣り師歴」というのは、実は今年が「30年の節目」なんですね。
本格的に釣りをスタートして10年後の2003年、もっともっと釣りに行きたい僕はインターネットの副業を始めました。釣りはそれなりにお金もかかるし、何よりも「時間の自由が欲しい」。当時はグーグルの広告(グーグルアドセンス)やブログアフィリエイトで釣り代を稼ぐくらい、今とは比較にならないくらい簡単だったんですよ。
まあ、インターネットビジネスの話なんて、普通に胡散臭いので詳細は割愛しますが、2003年の12月にメルマガビジネスからスタートだったんですが、「釣りを題材にして、ネット稼ぐ」というのを僕のライフワークというか、永遠のテーマとして取り組んできました。で、この仕事も今年が実は、「20年の節目」なんですね。
さてさて、釣りに話を戻しますが、93年に波止釣りから入って、96年頃から磯釣りを本格的にスタートして、50歳(2013年7月)を契機に、串本のカセ釣りに本腰を入れることになります。そうなんです、来月(2023年6月)は、僕の串本のカセ釣り歴「10年の節目」なんです。
まぁ、波止も磯もカセも、普通の人の何倍も釣りに行ったし、「釣りを題材にして、ネット稼ぐ」ってのは、ブログや動画など、ウェブコンテンツを作らないといけないわけですが、テーマとして「教材的なスタンス」をとり続けることができたのは、豊富な釣行実績がベースにあったからです。
とは言っても、時代の流れとともに、僕のやり方、考え方は、「もう、昔のやり方」になってしまった感は否めません。この感覚は、年号が令和になったタイミングで、ある程度、気づいてはいたんですが、「自分が淘汰されていく年寄りになっていく」ってのは、いやいや、これを書いている今の時点でも中々簡単に受け入れられるものじゃないです。笑
ただ、受け入れたくない気持ちは確かにあるのはあるんですが、拭いようのない「やり切った感」が心にあるのも、現実なんですよ。
「満足と納得は死んでからでも遅くない」(海信語録)
アホみたいに釣りに行ったから、バカみたいに釣れた時もあったんですが、「もうっちょっと上手に出来たら、もうちょっと釣れたのに」と、半ば自動的に思ってしまうのが「兼崎秀治(海信)」なんですが、最近はそういう感覚が無くなってしまいました。
もっと言うと、「釣れなくても悔しくない」、仕方ないと思っている(「潮悪いやん」とか、ほざく)自分が居るんです、最近・・・
正直なところ、ここ最近、毎日、「引退」の二文字が心に浮かぶ浮かぶ・・・笑
(腕も上がらんようになってきたし、動きは日に日にトロなってきてるし。。。笑)
文化の継承
僕の波止釣り時代(おおよそで30年前)のお師さんは、泉州ハネ釣り研究会の今中毅会長です。
30年前の当時は、もちろん、YouTubeもSNSも存在しないというか、ホームぺージを持っている人さえ、ほとんど居なかった時代です。そんな中、「釣り」を「文化」として世に知らしめるのは、テレビ、新聞、雑誌のいずれかでした。
今中会長はメディアの取材に、やたらめったら強かった。カメラの前では、普通に70cmオーバーとか、爽やかに釣ってましたからね。
心無い人は、師匠を「目立ちたがりなのでカメラの前では、やたらと強い」とか言ってましたが、あの当時、「エビ撒き釣り」という文化を世に知らしめようと思ったら、カメラの前しか「魅せ場」が無かったわけであって、「伝えること=ミッション(使命)」の強い気持ちが、カメラの前でより高い集中力を生み出してたと僕は思うんです。
僕はブログやYouTubeを使って、串本のカセ釣りを広めることをミッションにしましたが、ブログやYouTubeはやり直しも出来れば編集や修正もできます。カメラクルーの前での一発撮りは、僕も多少経験しましたが、「このタイミングで(いいヤツを)出さなければならない」わけじゃないですか。いわゆるプレッシャーは結構なもんなんですが、「『伝える』というミッションが心にぶっ刺さっていると出来るんだわ」、というのは、師匠から学んだ気がします。
2013年の7月にグレ釣りからスタートした串本のカセ釣りは、当時は、詳しいことを教えてくれるウェブはほとんど無かったんですよ。無いから「(自分で)作ろう」と思った。で、作っていく過程で「釣って見せるだけ」では足りない、人を動かすには「釣って魅せる」でなければならないことも気づきました。
師の教えを忠実に「守り」、良いもの、新しいものを取り入れて教えを「破り」、「離れて」独自の新しいものを生み出し確立させる。YouTubeの活動で、守破離(しゅはり)というものを少し表現できたかな、これも、最近、ちょっと満足して、納得しているような自分がいます。笑
「名手は釣って見せるだけ、名人は釣って魅せる」(海信語録)
僕は名人に釣りを教わりましたからね。僕は自分を名人と思ったことはないですが、名人を目指さなかったことは一度もないです。それがお師さんへの恩返しと思うからです。
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